介護→

介護施設で働くライターのブログ

介護殺人を読んだ

介護の本を読み漁っています。

今回はキンドルでこれを読みました。

介護の技術や認知症の知識などではなく、介護する人の疲弊や家族の愛について書かれているドキュメンタリー。特養の介護職員である私にとっても為になる内容だった。

介護する家族は苦しんでいる。自分の働いている施設にも「もうギリギリだった」とか「手をあげてしまいそうだった」というご家族がいる。介護は1人で背負い込んでしまってはいけないと思った。ムリがあるのだ。

1人の認知症のお年寄りを、1人が支えるのは不可能だ。なぜなら、それは24時間の重労働だからだ。

だからこそデイサービスやショートステイで介護しない時間を作る必要がある。そしていつか施設に入所するのが定番だろう。でも、現実的にはそううまくいかないことがある。施設は入居待ちの順番がえらいことになっているし、民間の老人ホームに入れる経済力のある人はマレだ。仕方ないから家で介護する。

それに毎日変化していく家族を見続けるのはつらい。認知が進むにつれ、一緒に生活するのは不可能になるだろう。

つまり、金が無ければデッドエンド。詰み。そんな状況が現れる。

介護の仕事をしていても、連続して働き続けるのは12時間が限界だ。でも、毎日やればちょっとづつ上手くなるし、手技も上がっていく。介護の生産性は家族でやるのとはくらべものにならないだろう。

常駐する看護師、認知症のお年寄りの為の建築物、体の専門家、健康的な食事、個別ケアはまだまだ発展途上だけど、介護の生産性は家族とは比べ物にならない。

悲しい介護殺人が起こらない為には、もっともっと、こんな施設が必要だ。

特養の相部屋なら月10万もかからない。もっともっと、こんな施設が必要なのだ。

だが、現実として人手が足りない。給料を上げればいいのかもしれないが、現状ではそうもいかないだろう。

この問題を社会はどうやって乗り越えていくのだろうか。きっと乗り越えていくのだと思う。介護の生産性はこれからもっと上がっていくはずだ。それをこれから楽しみに期待してる。

生産性を!