しあわせを話す
認知症が進んでいる利用者と話す。その人の短期記憶は数秒もたない。そんな人に何かを伝えるとき、自分はあきらめの気持ちを胸に秘めるのだ。
どうせ伝わらない
それは文章を書く時の心構えでもある。何を書いても読まれないし、読まれるほどの文章でもない。へんなメッセージなんてゴミだ。そう考えて書くと、なんかいい評価だったりする。
認知症の人に言葉を伝える。それは無限に深い井戸を水で埋めていく作業だ。時間とエネルギーの無駄遣い。だけど今回は違った。響いたのだ。
それは昼下がり、自分は入浴担当で、ぐったりと疲れ切っていた。そこに認知症のnさんがやってきたので、ソファに誘導して横に座った。
「ああ、いい天気だねえ、こんな日は外で焼肉したいね」
なにも考えずにそう話した。「そうだね」とnさんはいう。
「ジンギスカンだよね、炭火と網でさ、ビール飲んで、おにぎりを食いながら最高だよね」
「そうだね」
「男の人は火おこしてさ、女の人はおにぎり握ってね、nさんはビール飲むの?」
「ちょっとだけだよ」
何気なく始めた会話。気が付くとコミュニケーションができている。俺達の頭の中には、晴天の下でジンギスカンを焼いている映像が共有されていた。奇跡だ。
こんな会話も、数秒後には忘れてしまう。だけど、気持ちは残っているだろう。nさんの全盛期を、花の時代を、しあわせを話した。介護の神髄はここにあると思った。